2020年5月30・31日に行われた工事によって遂に山手線と埼京・湘南新宿ラインのホームが隣接します。大崎行きなどで盛り上がっていますが撮影出来ず・・・。さて今までそれなりに離れていた渋谷駅の2つのホームですが、そもそも何故離れていたのでしょうか?
渋谷駅は1885年に赤羽~品川間の開通と同時に開業。これが現在の山手線になります。隣には山手貨物線があり、1996年まで埼京線・湘南新宿ラインのホームはありませんでした。1980年までは貨物駅があったのですが廃止され、別の用途で使用されていたようです。その場所にホームを設置しているので、山手線のホームと位置が離れている。これが理由です(まだ終わりじゃないよ)。
さて渋谷駅の資料等を探しているこの様な論文を見つけました。為国 孝敏・榛沢 芳雄(1990):渋谷の駅空間形成の変遷,土木史研究,10,p.289-297.です。この論文によると
「現在よりも恵比寿寄りに位置し、その周囲には鉄道用地が確保されていた。」
とあります。この鉄道用地が山手貨物線のホームがある位置・・・ではなくこの用地は人力車待合室や駅前広場、砂利置き場などに使用されていたとあります。山手線開業当初は山手貨物線はなく、1906年まで単線。徐々に増える需要と本数により応対する為、1918年に山手貨物線を開業。1920年に山手線渋谷駅が高架化。
「大正9年、2代目駅舎の移転により東口駅前広場も北に移動し、跡地には貨物駅が設置された。」
と論文中にあり、高架化工事に伴う駅舎移転により、駅前広場も移転。貨物駅が設置された場所は現在の埼京線・湘南新宿ラインのホームがある場所とほぼ同一の場所でしょう。
この貨物駅は前述通りで1980年に廃止されるまで60年活躍した訳ですが、16年経過してそこにホームが出来る訳です。貨物駅→廃止→旅客駅の経歴を持つホームは珍しいのではないでしょうか。なおこの貨物駅は玉川線が運んできた砂利などを扱っていたと思われます(貨物駅開業前は山手線に積み替えて輸送していたと上記論文に記載あり)。
つまり埼京線・湘南新宿ラインのホームは移転前の東口駅前広場の跡地に出来ていたのです。高架化によって空いた用地に貨物駅を設置しその貨物駅が廃止され、そこに設置したから山手線のホームと離れている訳ですね。1920年当時ではその貨物線に定期の旅客列車を走らせるなんて考えていなかったでしょうし、その電車が川越や海老名、熱海に高崎、宇都宮などまで走らせるなんて想像もしていなかったでしょう。
ちなみに高架化前の山手線ホームは現在の配置とよく似た構成となっています。何故配置を変更せずそのまま高架化したのかは不明ですが。
渋谷貨物駅が現役だった時代の写真を見たことがあるのですが、当然今と全然違う訳です。東急百貨店がある南口側には路面電車が走っていて、その東急百貨店が出来る前は東横線が運んできた砂利を積み下ろすホッパーがあったと論文にあります。
100年が経過し現在は路面電車はバスに、東急百貨店は閉店、そして貨物駅跡地に出来たホームは消えて山手線と隣接する訳です。
もし山手線が高架化しても位置が変わらず貨物駅も同じ位置に出来ていて、同じようにそこに埼京線・湘南新宿ラインのホームが出来たとするとこれらのホームは1920年頃から隣接していて今の様な状況にはなっていなかったのかもしれません。街の構造も変わっていたでしょうね。
2020年は渋谷駅にとって離れていたホームがやっと隣接して並ぶことを待ち続け、そして叶った100年目の年と言えるでしょう。
私はA列車で行こう3Dでも様々な街づくりをしましたが、渋谷の様な開発もしてみたいなぁとちょっと思いました。
それでは!
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参考論文閲覧日:2020年5月31日 感謝申し上げます。ありがとうございました。